夕焼け小焼けの学校
中村 雨紅(なかむら うこう)
ゆかりの学校
三日小ができたときに二日小から転任してきた高井宮吉先生は、童話を作ることが大好きでした。お行の松の近くにある先生の家には童話を聞きにくる子どもたちが集まりました。雨の童話が多いことから「雨のおじさん」と呼ばれていたそうです。
やがて、中村雨紅というペンネームで童謡を書くようになり、1919年(大正8年)に「夕焼け小焼け」の詩を作りました。そのころは校舎から富士山がはっきりと見えたそうです。また、夕方になると、谷中のお寺から鐘の音が聞こえました。
