令和2年9月4日 尾久初空襲 講演会

ページ番号1005518  更新日 令和4年3月22日

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地元荒川から学ぶ平和学習 尾久初空襲 講演会

本校では、3年間をとおして探求学習に取り組んでいます。現2学年は「平和学習」がひとつのテーマとなっており、来年度は広島への修学旅行も予定しています。先月6日の広島「原爆の日」の全校での黙祷も、それに繋がる体験となりました。そうしたなか、今回は、地元荒川区で活動している「尾久初空襲を語り継ぐ会」の方々にご協力いただき、尾久初空襲についての講演会を行いました。

写真:尾久初空襲 講演会1


太平洋戦争時下の1942年4月、東京や名古屋、神戸などが初めての空襲に見舞われました。このときに、荒川区が被害を受けた空襲が「尾久初空襲」です。その3年後に終戦を迎えるわけですが、開戦からわずか四ヶ月での本土への直接攻撃ということで、日本側の衝撃は大きく、当時は口止めをされ、新聞でも「わが損害は軽微」と報じられました。このため、あまり語られることもなく、地元でも長く忘れられていました。その後、「尾久初空襲を語り継ぐ会」の方々などにより、語り部活動が行われるようになり、改めて知られるようになったのでした。

今回の講演会には、

  • 「尾久初空襲を語り継ぐ会」の広田栄三郎さん
  • 当時の空襲の体験者で、その語り部として活動している堀川喜四雄さん
  • それを紙芝居にして演じる活動をしている、本校卒業生の三橋とらさん

においでいただきました。
三橋さんが演じる紙芝居は、空襲のその日、当時5年生の堀川さんの体験が実に生々しく、自分がそこにいるような感覚になりました。続いて、広田さんから尾久初空襲の概要を説明いただきました。堀川さんには、その時亡くなった友人宛ての手紙を朗読いただくと共に、インタビュー形式で当時のことを語っていただきました。その後、生徒はグループに分かれ、印象に残ったことや感想、そして私たちが今できることについて話し合い、戦争や平和についての考えを深めました。

戦後75年が過ぎ、当時の体験者が少なくなるなか、尾久初空襲の語り部も堀川さんだけだそうです。「次の世代に直接伝えられる最後のチャンス」「(これを通じて)真実を見極める目をもってほしい」と三橋さんは語っていました。少しでも理解を深めてもらえればと、この講演会に先立ち、語り継ぐ会の方々が残された数少ない貴重な資料を校内に展示してくださいました。ご協力いただいた方々のそうした思いも含め、今回学んだことをしっかりと受け止め、「平和学習」をさらに進めていきましょう。

写真:尾久初空襲 講演会2

写真:尾久初空襲 講演会3

写真:尾久初空襲 講演会4