令和4年4月26日 1年道徳科

ページ番号1009304  更新日 令和4年4月26日

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今日の1年生の道徳科は運動会の選手決めをめぐってクラスでトラブルが起きるという話でした。
リレーの選手に選挙によりA君が選ばれたのですが、A君は練習をして勉強が遅れるから辞退したいと申し出ました。
それに対し、クラスのみんなはリレーに勝つためにA君が選ばれたわけで、個人と集団とどちらが大切なんだ、A君のエゴだと責めました。
それに対しA君は、みんなが勝手に決めて人に押し付けるという、クラスの暴力だと反論し、結論が出ないまま学級活動が終わるという話でした。
この教材に対し、各クラスでまずは自分の考えを発表したり書いたりしたうえで、少人数になって互いの意見を交換し合いました。

結論から言うと、この問題は解決困難な問題なのです。最初、いずれのクラスでも「A君は出る義務はない」などA君よりの意見を言っていましたが、それはA君の立場になったからであり、クラスのA君以外の立場になると自分の意見も変わってくるのです。これを「多面的な見方」と言い、立場を変えて考えることにより結論出せなくなってくることを「葛藤」と言います。道徳科では、このような葛藤場面を与えて子どもたちに議論させることにより、「自分がA君の立場だったらどうするか」「自分が議長の立場だったらどうするか」「自分がA君以外の立場だったらどうするか」を考えさせます。これを「自分事として考える」と言います。

教材に出てくるこのクラスの最終的な目的は、運動会を前にしてクラス内でぎくしゃくした人間関係をつくらずに、それぞれが互いの立場を理解して運動会に臨むことにより、より人間関係を良好にしていくことです。このような大局的な見方で、どうしたらいいかと考えられた子どもはどれだけいたでしょうか。また、人間とは自分の立場が変わると自分に都合のいい考え方をしてしまうものだということにどれだけの子どもが気付いたでしょうか。道徳科が目指すことはこのようなことです。

本校でも、まもなく運動会の選手決めがあります。そのとき、今回考えたことが生かせれば「道徳的実践力」が身に付いたということができます。

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